マッチングアプリ

帰宅後真っ先にすることはベッドに寝転がることで、その次にすることはマッチングアプリを開くことだ。審査の甘いアプリを使い、26歳看護師という設定になりきっている。26にしたのは自分より若いが絶対的に若いわけではない女がどう扱われるのか興味があったからで、看護師にしたのは男受けがよくかつ職場が女だらけで出会いがないという話を信じれてもらいやすかったからだ。

 

大量に来るいいねのうち、25歳以下はいいねを返さない。前にいいねを返したら会ってもないのにお姉さんの家に行きたいだの学費苦しいだの言ってきたから歳下に忌避感を覚えるようになってしまったのだ。一方で30超えてる人間にも距離感が狂っている人間はたくさんいて、こりゃあマッチングアプリを使っていても会うところまで漕ぎつけないだろうな、としか思えない。

 

ユイのほんとうの職業はフリーターで、正社員になったことがない。いわゆる定職についたことがないということになるんだろう。接客は苦手だし誰が使ったか分からないお手洗いの清掃をするのも苦手だが、なんてことないですという顔をしてこなしている。ただ、職場の人間たちと業務外のことを話すのが苦手なのは隠しきれていない。

今の職場は本屋で、平日昼間はさほど忙しくない。もともと本は好きなのでどこに何が置いてあるかもある程度把握できている。しかし、万引き対策だけはいつまでも慣れない。長く勤めるうちに挙動のおかしい奴はなんとなくわかるようになると店長からは言われたが、幸か不幸かひとりも検挙できたことがない。

 

淡々と静かな職場で働いて社会と少しだけ繋がれているこの生活に大きな不満はないはずだった。薄給だが責任は重くないし本を運ぶのは多少重労働だが好きなことをやっていると思えばまあ耐えられる。本屋の客はクレーマーが少ないのも助かる。カフェのバイトもしたことはあるが要領が悪くすぐに辞めてしまった。それを思えば今の生活は随分とマシなものなのだ。

 

ユイがマッチングアプリを始めたのはひょんなことがきっかけだった。彼氏がマッチングアプリを使っているかもしれないという友達が、ユイに潜入捜査してくれと頼んできたのだ。友達もまた別の友達から頼まれてマッチングアプリを潜入捜査目的で登録したらしく、その時に彼氏らしきアカウントを見つけてしまったというのだ。

友達の彼氏らしきアカウントについて彼氏に問い詰めると案の定黒で、ただもうやめるという言葉が事実か確かめるためにユイちゃんからいいねを送ってほしいと言われたのだ。結果いいねは返ってこなかったが、彼のアカウントのプロフィールは更新されており、彼まだマッチングアプリを使ってるよ、と友達に報告した。友達は別れると息巻いていたもののいざ会うと別れを切り出せず今もなお付き合いは続いている。

なんだったんだ私は、そう感じたユイは、せっかく登録したし使ってみるか、という気持ちになり、マッチングアプリに足を踏み入れた。

 

ユイは元々コミュニケーション能力が高い方ではない。表面的な、建前ベースの会話はかなり苦手だ。マッチングアプリはどうでも良い会話からスタートさせなければいけなくて、かなりしんどい。が、これが接客やあるいは面接の練習になるのではないかと思って壁打ちのように返信をしている。

 

マッチングアプリで男性に会ったことは3度ある。1人は趣味(演劇)の話を聞きたくてあったのに、演劇の話はロクにしてくれずつまらなかったからすぐに連絡を返さなくなった。もう1人は初めて会った日のうちに、この近くにプールのついたラブホがあって行ってみたいんだよね、水着貸し出してくれるらしいし行こうよ、というのですぐに帰った。最後の1人は顔が良くてあってみたが、話が何もかも合わなくて地獄みたいな空気になり解散した。3度会ってだめならもうだめだろう、そう思ったユイは、マッチングアプリの男性たちに日々返信をし、会おうよと言われるとブロックする作業を繰り返していた。男性たちはユイのことを大してちやほやしてくれない。顔がかわいいと言ってくるのも10人に1人くらいだ。それなのになぜと言われるとユイにもよくわかっていない。ヤリモク男への復讐だろうか。承認欲求を満たしているのか。

 

そんな日々を繰り返していたユイだが、マッチングアプリで珍しく気になる相手が見つかった。好きな映画も好きな小説も一致していたのだ。さっそくいいねを返してメッセージを待つ。ところが3日経っても返事が来ない。ユイはもう飽きたか他の人とマッチしたのだろうと諦めてどうでも良い男とのメッセージに労を割いた。ユイが忘れた頃ーユイがいいねしてから10日経ってなんと例の男から返信がきた。映画も小説も趣味が会うなんて嬉しい、良ければ今度お会いしましょう、との連絡が来た。ユイは多少警戒したものの、昼間にお会いしたいですと返信した。男からはもちろんです、せっかくなら○○図書館でお会いしませんか、と返事が来た。ユイは快諾した。日時を決め、やり取りは一旦中断された。

図書館デートはユイにとって楽しいものだった。なんせ男はユイの好みの本をすべて読んでおり、おまけにユイが気に入りそうだと見繕った本もユイの好みドンピシャだったからだ。ユイは男をひどく気に入ってしまった。連絡先を交換し、また会おうと話して解散した。

 

それきり、ユイはマッチングアプリを開かなくなった。男に勧められた小説や映画を摂取するのに忙しかったからだ。そのうち男と映画館にも通うようになったが、薄給のユイには出費が痛手だった。ユイは男に申し出た。映画館で観たいのは山々だけど、お財布が厳しいから、うちでNetflixでも観ない?と。男はいささか驚いた顔をしたのち、すまなそうな顔をして、気が利かなくてごめん、ユイさんがそうしたいならそうしようか、と言った。

ユイと男はユイの家でNetflixを観るようになった。とはいえNetflixで観られるような作品で男が満足するわけなく、すぐにもっとマイナー作品が観られるサブスクに移行したのだが。ユイは男と親密になっていったが一抹の不安があった。家に来るようになったのに一向に手を出されないのだ。いや、ユイとしては肉体関係を持ちたかったわけではないが、手を繋いだりもたれかかったりすることすらないのはやや異常じゃないのか。マッチングアプリで知り合った以上、恋愛に発展するのが普通なんじゃないのか。そう思うと男が急激に不気味な生き物に見えてきた。

 

ある時ユイは思い切って、○○さん、マッチングアプリ使ってましたよね。あれは映画友達を探していたんですか?と訊いた。男はしばし黙ったのち、ゆっくりと口を開いた。確かに僕たちはマッチングアプリで知り合った。ユイさんが不安になるのも当然だろう。ただ、僕の性癖はちょっと特殊でね、ずっと気が引けてたんだ。でもユイさんがそう言ってくれるなら試してみようかな。男はそういうといつも持ってきていた鞄の中から麻縄のロープを取り出し、呆気にとられるユイの手首を後ろ手で縛った。血の気の引いたユイの顔を見て男は申し訳なさそうな顔をしたあとに、弁明する口調で言った。怖がらせてごめんね。痛いことはしないから安心して。そう言うと男はユイの脇腹をくすぐり始めた。くすぐりに弱いユイは、ちょっと○○さん何するの、とじたばたと足をばたつかせたが、男はユイの鼠径部のあたりに馬乗りになり、脇腹をくすぐりつづけた。くすぐられるのに疲れたユイが足をばたつかせなくなった頃、男はごく自然にコンドームを取り出しユイの下着を脱がせ、戸惑うユイを尻目にコンドームを装着して挿入した。前戯すらしていない性器がスムーズに受け入れられるわけもなくユイは低いうなり声をあげる。男は構わずピストンを続ける。やがてユイがなんの声も発さなくなった頃、男はようやく射精しユイから離れた。

ぐったりとするユイに男は言った。ごめんね、僕こういう風にしないと興奮できなくてさ、前に別のアカウントでユイちゃんとマッチしたときに、この子変わった小説とか映画とか好きなんだなぁって思って、それでユイちゃんと趣味合うフリすればこうすることができるって思ったんだ。ユイちゃんはマッチングアプリで男と会う気なんてなかったんでしょう?でも僕と会っちゃった。懲りずに他の男とも会ってあげてよ。それだけ言うと男は帰っていった。ユイは何も言えなかった。

 

ユイは頭の中がぐちゃぐちゃだった。どうすれば良いのかわからなくて、とりあえず日常を続けようと思った。日常を続けるということはマッチングアプリを続けるということだった。

ただ、このまま過ごすわけにはいかなかった。男にやられっぱなしで良いわけがない。ユイは会おうと言ってきた男たちに会いに行くようになった。ユイの方から○○さんのお家に行きたいな、と言えば断る男はいなかった。ユイは男の家に行くと金目の物を物色したり家族とのアルバムをこっそり処分したりするようになった。それでもユイの気は収まらなかった。ユイは天涯孤独の男を探すようになった。そうすれば何をしてもしばらくは見つからない。

ある日、浮浪者のような見た目の男とマッチした。会って話を聞いてみると路上生活をしているらしい。スマホは人にもらって、無料期間だけ使えると教えてもらったと。

ユイは内心呆れたが、こいつしか居ないと思った。気候の良い時期だから、ブルーシートでも大丈夫、○○さん家に連れてって、そういうと流石に困惑した顔をされたが、大学で社会学を学んでいる、こういうのも社会勉強で、失礼でなければ是非、というと家に入れてくれることになった。

路上生活者の家は家と呼び難い代物で、ユイもさすがに怯んだが、ここで逃げるわけにはいかないと思い○○さんに続いて家に入る。もう日が落ちたし飲みましょうと言って酒瓶を取り出す。○○さんにばれないように眠剤を混ぜて渡す。○○さんと乾杯してふたりで酒を呷る。しばらくするとユイは寝込んでいた。○○さんが気づかないわけなく、ユイのお酒と○○さんのお金をすり替えたのだ。○○さんは寝入ってしまったユイの身体を存分に弄んだ。翌朝目が覚めたユイは、誰もいなくなった小屋ですべてを悟った。段ボールや廃材で作られた簡素な小屋をユイは角材で殴って凹ませた。

 

少し歩けば駅がある。ユイは異様な身なりで駅まで歩く。早朝のホームには誰もいない。ユイの前を電車が通過する。こんな早朝でも電車は動いているのだ。電車を2本見送ったところでユイは立ち上がった。3本目の電車が来た時、ユイはー