滴る
男の人は私に取って必要不可欠な存在だと思う。先生は「依存だ、やめなさい」と言ったけれど、渇きながらも水を飲まない修行僧になる気は私にはないのだ。私を満たす水、あるいは私を動かすガソリンだもの、何がいけないの。
先生が、それは男の人を手段として扱っているから善くない、と主張するのならまだ理解ができる。(実際に手段として扱っているかはさておいて。)ひとを手段として扱うのは確かに褒められた行為ではないと思う。でも違う、私は男の人に愛をもって接している、そう思っている。
何を以て愛とするのか、あるひとは犠牲と受容だと言った、ひとの言葉を借りるのは気が引けるけれどもほんとうにその通りだと思う。
都合良く振る舞うのとこちらの都合を振りかざすのとを交互に繰り返すのはたぶん得意、他の人たちから見てバランスがおかしくなっているだけで。
誰にも見向きされなくなってからでは遅いのですよ、といった意味合いのことも言われてしまった。先生はアルコール依存症患者からただアルコールを取り上げれば解決だと思っているのだろうか。不安を解消しようとせず、不安のまま置いておけるようになってください、といったことを言われたが、そんな励起状態でいてくださいみたいなさ、無茶だよって力なく笑うしかないけど先生は本気なんでしょう。
男の人は、私に何を与えてくれていて、私は何を受け取っているのだろう。それすら言語化できていないのに私に何ができるだろう。今まで通り男の人と関わり続けることだけ、あるいは男の人を拒絶してしまえば先生は満足なさるのかしらね。
私が孤立しても何の責任も取ってくれないのにどうして引き剥がそうとするの。ねえ、どうして。持続可能じゃないとしても今を凌がなければ未来なんてないのに。
そうする他なくて今日も私は水を飲むように男の人に連絡を取る。
what i wanna do
やりたいことをやれば良いなんてよくも簡単に言ってくれるよね。焼き尽くしたいよこの世を。美しいものも残したいものも焼かれる様はさぞかし美しかろうと思う。
私がやりたかったことはもう今世ではできないことばかりで、こうしてちまちまと筆を取ることがせめてもの抵抗だ。
文章を書きたい、ひとを突き刺すような文章を、私を忘れられなくなるような文章を。
どうしても書けない、それでも。
幸福な自殺
全ての自殺は生からの開放として祝福される。
自殺を肯定する宗教。
watch me
別に伊藤計劃の某作品に関して言及する気はなくて、私はただ私を見て欲しいだけ。そういうのは遅くても大学生で終わらせておくべきだとも思うけれど。
見られたいなら見たくなるような振る舞いをするべきで、見られたいという感情は隠す方が得策だと思う。
私のアカウントをフォローしてくれてるひとたちが何を見たいのかあんまりわからない。きらびやかな非日常や丁寧な生活を期待してあのアカウントをフォローするひとはいないと思う、じゃあ、あなた方が見たいものは、あるいは見たくないものは何かと考えた時に、見たくないもの一例として“凡庸な”幸せを思い浮かべてしまった。幸せになろうねとリプをくれたひとは確かにいたけれど、それでも。
いい性格してるひとならここで誰もお前にそんな興味持ってないんだよとか言うんだろうし実際そうなんだろうけど、じゃあどうすれば。そもそもなぜひとに見てもらいたいなどと望んでしまうのか。自分が満足してればそれで良いのに。
ところで今日はお姫様扱いしてもらったんだけど、全然しあわせじゃないです。贅沢って言われちゃうのかな、でもそんなもんだよね。
彼ならずっと私だけ見てくれるでしょう、でもそれじゃ意味ないみたい、険しい。
それでも
ひとを失った。厳密にはすべての連絡手段を絶たれたわけではない。用があれば連絡くださいとも書かれていた。まあそれが字義通りだと多くの人は解釈しないだろうが、ともかくそのひとはそう送ってきた。それだけが一抹の救いだ。
どうすれば良かったかは明白で、私が私のことを話しすぎなければ良かった、あるひとのことばを借りるなら何も言わなければ良い、わけだったんでしょう。それってどういう関係性なんでしょうかという問いは残るが。
そのひとにまつわるあるものを手放した、厳密には全然関係ないひとに譲った。とはいえ私が贖ったものだから問題はないでしょう。
それでも。それでもそのひとが好きな音楽を聞いては心のリストカットをしている気分になっている。耐え難い不在が楽曲で埋まるわけもなく。
その人がご教授くださった厚い厚い本を手に取るべきときがきたのかもしれませんね。
ねえ神様あなたが私たちに与えた試練は何なのですか?
バレンタイン(2024年)
イベントにそれほど積極的な方ではないが、バレンタインはかなり好きなイベントだと思う。
美味しくて可愛い(あるいは)おしゃれなチョコレートたちが様々なブランドで販売されていて、それらを眺めるのは気分が良いし、人々に送りつけるのも気分が良い。そう、人に素敵な物を贈る口実と贈る物が用意されている最高のイベントなんだよね。
今年あげたチョコレートの一部はインターネットの海に放流されてしまって、ゆのさんのこと伝わってなかったんだ、解像度には疑問があったけどそこまでだったんだね、になっちゃった。
ところでひとにおすすめしてもらったチョコレートを初めて自分用に買ってみた!
お家に届いたけどまず箱が可愛い!
中身も可愛い!
味はね、インターネットには公表しない!
教えてくれたひとにお礼の連絡しなきゃな〜と思ってるところ。
チョコレートを贈ったひとにも敢えて贈らなかったひとにもそれぞれに𝓛𝓸𝓿𝓮があります…。
来年はどんなチョコレートに出会えてどんな𝓛𝓸𝓿𝓮を送るんでしょうね。
幸せ
悪い男にもらった幸せだけを抱えて、悪い男自身は切り捨てるべき時が来ているのかも。切り捨てても幸せは抱え続けるからずっと一緒です。