大仰で痛々しいタイトルねえ。
分かっててやってるのでより罪が深いです。
幸せは基本的に隠してきた。もっと正直に書くと恋愛に関する幸福は、だが。
愛された記憶より愛した記憶ばかり思い出しているのかもしれなくて、それは珍しくないというか与えられたものをよほど思い返していないとそうなってしまうのは当然な気もしますがそれにしても残念に思います。
あげようとしたものを受け取ってもらえる、それがもう幸せなんだということを鑑みてもやはり、受け手の立場に立てばあまりにも忘れっぽくあるのはちょっといただけませんよね、たぶん。
幸せを、プライベートを、よりにもよってインターネットに公表するのは未熟なことではないか、 恥ずかしいことではないか、大事なものを知られてしまうなんて自ら弱みを晒すなんて!そう思っていた。あるいはそういう考えに染まっていた。
それでも、紙媒体よりもいつか探しやすい、もしくは自分以外の何者かにより記憶されたり思い返されたりするのであれば、幸せを公表することにより得られるものもあるのではないかと思った。引き換えに失うものは小さくないと私は思うけれど。
それでも受け取ったものを奪った時間を忘れたくない、いつか読み返したらちゃんと思い出したい。
そう思って今、幸せを表明しようとしています。
追記:タイトルと本文の齟齬に書き終えてから気づいた。
私の駄文をしばらく読んでくれてた人なら意識下の感情に気付きそう。気づいてくれたかな?
でもね、私はね、理想ばっかり高くて感情も行動も追いつかないの。あと何年かかっちゃうか分かんないよ。経験則からしてたぶんー