春の陽射しを浴びたのは

 

散歩日和、なんてタイトルで暗いことを全く書かないように意識したブログ記事を書いてみたが、吐き出したい気持ちを飲み込む気持ちたるや。暗い気持ちを見て見ぬ振りをして指摘されてもぴんとこない境地に達すれば暗いことをわざわざに投稿してしまわなくて済むようになるのか。

 

春の陽射しを浴びたのは紛れもなく私のはずで、桜を見つけたときは陽の感情が確かに湧いたと思う。

けれども桜を見つけて綺麗、嬉しい、という気持ちがある一方で桜が咲いていることに違和感があった。桜が咲くような時期なのか?日付を確認してみると確かに桜が咲く時期ではある。私は昨日も一昨日も連続性を持った存在のはずである。でも今ここで桜が咲いていることが腑に落ちない。

 

今年のバレンタインは大きなイベントがあって、それはバレンタインと無縁のものかつ何とか終えることが出来たのだけれど私はその日以来ずっと時が止まってしまっている気がしている。

卒業生を見送っても知らない人にフォーマルな場で会ってお話するイベントをこなしても(出来はともかく合格だと思う)新たなアポを取っても私はずっとあの日から進めていない気がしてしまっている。あの日までもまた進めていなかったという自覚もあるんだけどさ。

 

病院に行って、検査値は改善されたらしい。ということは今ある症状は他に原因がある、ということだと考えて良いか?と尋ねたら否定はされなかった。

 

じゃあ土日寝込むほどの倦怠感あるいは無気力は何だったんだ?

 

体調不良、というか倦怠感は気のせい!と思うしかないのか、気のせいなのかもね!

 

 

この動けない状態を改善するために病院に何度も足を運び採血され、治療が進むのかとやきもきしたが、時間も体力もお金も全部無駄だった気持ちだよ。正当な方法で解決に向かおうと思ったのに。また労をして報酬を得られないという失敗を学習してしまった。おつらいね。まあこんなもんだよね!

 

悲痛な叫びを失くした時が鬱病、つらいつらいというものは鬱病ではないという判断なのかな、と思った。真偽はさておいて今夜お話ししてくれた人はそう考えているのかな、と感じた。