滴る

 

男の人は私に取って必要不可欠な存在だと思う。先生は「依存だ、やめなさい」と言ったけれど、渇きながらも水を飲まない修行僧になる気は私にはないのだ。私を満たす水、あるいは私を動かすガソリンだもの、何がいけないの。

 

先生が、それは男の人を手段として扱っているから善くない、と主張するのならまだ理解ができる。(実際に手段として扱っているかはさておいて。)ひとを手段として扱うのは確かに褒められた行為ではないと思う。でも違う、私は男の人に愛をもって接している、そう思っている。

 

 

 

何を以て愛とするのか、あるひとは犠牲と受容だと言った、ひとの言葉を借りるのは気が引けるけれどもほんとうにその通りだと思う。

都合良く振る舞うのとこちらの都合を振りかざすのとを交互に繰り返すのはたぶん得意、他の人たちから見てバランスがおかしくなっているだけで。

 

 

誰にも見向きされなくなってからでは遅いのですよ、といった意味合いのことも言われてしまった。先生はアルコール依存症患者からただアルコールを取り上げれば解決だと思っているのだろうか。不安を解消しようとせず、不安のまま置いておけるようになってください、といったことを言われたが、そんな励起状態でいてくださいみたいなさ、無茶だよって力なく笑うしかないけど先生は本気なんでしょう。

 

 

 

 

 

 

男の人は、私に何を与えてくれていて、私は何を受け取っているのだろう。それすら言語化できていないのに私に何ができるだろう。今まで通り男の人と関わり続けることだけ、あるいは男の人を拒絶してしまえば先生は満足なさるのかしらね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私が孤立しても何の責任も取ってくれないのにどうして引き剥がそうとするの。ねえ、どうして。持続可能じゃないとしても今を凌がなければ未来なんてないのに。

 

そうする他なくて今日も私は水を飲むように男の人に連絡を取る。