もがくほどに沈む沼にて

疲れてしまった。そんなこと今に始まったことではないが、ここが踏ん張りどころ、と言われながらも心身の不調に見舞われている。先行きが危ぶまれている。身の丈にあった仕事。身の丈にあった人生。

 

幸か不幸か、身体の不調は検査で数値化・可視化できるものであり治療していきましょうということになっている。精神の不調も身体の不調(内分泌異常により脳にも影響があるといったところだと認識している)によるものであり、身体の方の治療を受けて様子見してください、といった状況である。死にたいと自殺に成功できるわけないという自分への不信の板挟みで追い込まれてるんだけど睡眠以外は特に対処の必要がないですね、という判断らしい。治療は並行するよりどれが効いているのか判断するために一つずつやっていくべき、みたいな感じなのかなとは推測しているけれど、勘弁してほしい。身体の検査結果を見せたときに、なるほどだから精神症状が出てたのね!という精神科医の反応、私は睡眠が障害しているだけで精神疾患にならないという前提があるのだろうか、と感じてしまった。 

 

結果がすべてで心身の不調など私以外の誰にも関係のないことである。つらい。

 

死んだら治療できなくなるvs死んだら治療しなくて良くなる

 

お家を出られないと正直に返信したら、おいで!みんな心配してるよ!という返信がきたの、100%の善意だとわかっていても耐え難くつらかった、というかそれで堰を切ったように泣き出してしまった。

発表の準備に目処が立てばお家を出てみんなの前で発表できるだろう、と思っていたが、然るべき人に連絡だけして薬飲んで準備しようとしたがぐったりしてそのまま眠ってしまっていた。本日閉店がらがら。

 

みんな心配するから欠席してはいけないし、みんな心配するから人前で泣き出してもいけないし、みんな困っちゃうから失踪してもいけないし、みんなを悲しませてしまうから自殺しちゃいけない。

 

地獄への道は善意で舗装されている、という言葉を久しぶりに思い出したよ。

休んだら利子付きで負債を返済しなければいけなくなるから本人がつらくなるのは間違いないんだけど、今まさに音を上げている人にみんながを主語にした言葉をかけるのってその人をさらに追い詰めることにならない?バンジージャンプやれっていうなら切れそうなぼろぼろのロープをみんなと同じ丈夫なロープに替えてくれよ。死ぬぞ。

 

それでもそのみんながいなくなったらそれはまた別の地獄ということになるよね。

安寧の地isどこ。

 

休んでしまったからますます外に出られない。食事なんてしてもすぐ良くなるわけないけど、さぼればもっと悪くなるだろう。

自分で入れた予定の帳尻合わせ、できるだろうか。

やれるだけのことはやってるつもりなのに、生きててずっと自分で自分の首を絞めているのかなってくらい苦しい。もう休みたい。楽になりたい。休みたい。解放されたい。